日本では「長寿」や「繁栄」を願う縁起物として、これほどまでに愛されているバウムクーヘンですが、実はそのルーツを辿ると、今から100年以上前、第一次世界大戦下の広島で起きた、ある劇的な物語に突き当たることをご存じでしたか?
1. 1919年、広島。捕虜だった職人が焼いた「最初の一切れ」
バウムクーヘンが日本で初めてお披露目されたのは、1919年(大正8年)3月4日のことです。舞台は、現在の原爆ドームとして知られる「広島県物産陳列館」で開催されたドイツ作品展示共進会でした。
当時、日本に捕虜として連行されていたドイツ人の菓子職人、カール・ユーハイム。彼は乏しい材料と手作りの道具を使い、慣れない日本の地で故郷のお菓子を焼き上げました。芯棒に生地を塗り、回転させながら直火で焼くという過酷な作業を経て完成したそのお菓子は、当時の日本人の目に「未知の芸術品」として映り、瞬く間に絶賛を浴びたのです。終戦後、彼は日本に留まり、横浜、そして神戸で店を構え、日本におけるバウムクーヘンの歴史を切り拓いていきました。

2. 名前の由来:なぜ「木のお菓子」なの?
ここで、名前の由来を詳しく紐解いてみましょう。ドイツ語で「Baumkuchen(バウムクーヘン)」という言葉には、そのまま見た目を表す意味が込められています。
「Baum(バウム)」は「木」を、「Kuchen(クーヘン)」は「ケーキ・焼き菓子」を意味しています。つまり、「木のお菓子」という意味なんですね。生地を何度も薄く塗り重ねて焼き上げることで生まれる独特の模様が、樹木の「年輪」にそっくりだったことから名付けられました。本場ドイツでは、「お菓子の王様」として特別な技術を持つ職人だけが作ることを許される、非常に格式高いお菓子として扱われてきたと感じました。
「年輪」が繋ぐ、幸せのメッセージ
年月をかけて刻まれる木の年輪は、日本では「長寿」や「夫婦円満」、「幸せが重なる」といったポジティブなイメージと結びつきました。ユーハイム氏が伝えた技術が、日本独自の精神性と合わさり、お祝い事には欠かせない国民的なお菓子へと昇華していったのは、とても素敵な化学反応だと思いませんか?

3. 本場ドイツと日本の「意外な違い」
日本でこれほど身近なバウムクーヘンですが、本場ドイツでは事情が少し異なります。ドイツでは国立菓子協会が定める非常に厳しい基準(油脂はバターのみ、ベーキングパウダーは不使用など)があり、専門店でしか手に入らない特別な品。一方で日本は、独自の進化を遂げ、しっとりした食感や多彩なフレーバーが生まれ、コンビニでも買えるほどに日常に溶け込みました。
100年以上前、一人のドイツ人が広島で灯した情熱の火が、今もこうして日本中の家庭に「ちょうどいい」幸せを届けている。そう思うと、お皿の上のバウムクーヘンが、なんだか誇らしげに見えてきませんか?

まとめ:バウムクーヘンの物語を振り返って
- 日本初公開は1919年(大正8年)3月4日、広島でのこと。
- 伝えたのは、ドイツ人菓子職人のカール・ユーハイム。
- 名前の由来はドイツ語で「木(Baum)のお菓子(Kuchen)」。
- 年輪の模様が「長寿」や「繁栄」の象徴として、日本で独自の文化になった。
「木のお菓子」という名にふさわしく、どっしりと大地に根を張り、100年の時を越えて愛されてきたバウムクーヘン。次にその断面を眺めるときは、ぜひ大正時代の広島で、故郷を想いながら火の前に立った職人の姿を想像してみてください。その優しい味わいが、より一層深く、心に染み渡るはずですよ。


コメント