なぜあの形なの?モンブランの頂に隠された、パリの老舗と自由が丘の職人が紡いだ「白い山」の物語

洋菓子

デパ地下のスイーツコーナーを歩いていると、ひときわ目を引くあのフォルム。細い糸状のクリームが高く積み重なった姿は、どこか威厳すら感じさせます。秋の味覚の代表格ですが、今では一年中、自分へのちょっとしたご褒美として選んでしまう魅力がありますよね。

実はこのモンブラン、フランスとイタリアの国境にまたがるアルプスの名峰をモチーフにしていることは有名ですが、日本で私たちが慣れ親しんでいる「あの姿」になるまでには、ある日本人の情熱的な物語があったことをご存じでしたか?

1. 1903年、パリの老舗「アンジェリーナ」での誕生

モンブランの原型は、フランスのサヴォワ地方やイタリアのピエモンテ地方の家庭菓子にありました。しかし、現在のような洗練されたデザートとして確立させたのは、パリの老舗ティーサロン「アンジェリーナ」だと言われています。

1903年、オーストリアの菓子職人アントン・ランプマイヤーが、パリのリヴォリ通りにお店をオープン。そこでメレンゲの上に無糖の生クリームと濃厚な栗のペーストを絞り出す現在のスタイルが完成しました。当時、パリの貴婦人たちの間で瞬く間に大流行し、あのココ・シャネルもこの店のモンブランを愛したというエピソードは、このお菓子の品格を物語っていますね。 

2. 日本のモンブランは「自由が丘」から始まった

さて、日本のモンブランに目を向けてみましょう。日本で初めてモンブランを作ったのは、東京・自由が丘にあるその名も「モンブラン」というお店です。創業者の迫田千万億(さこたちまお)氏が、1933年(昭和8年)にフランスを旅した際、現地のモンブランに出会い、その美味しさに衝撃を受けたのが始まりでした。

迫田氏は、現地の店の許可を得てその名前を日本に持ち帰りました。しかし、当時の日本人の口に合うよう、現地の土台であるメレンゲをカステラ生地に変え、さらに栗の甘露煮を使って「黄色いクリーム」にアレンジしました。これが、昭和の子供たちが夢中になった「黄色いモンブラン」の誕生の瞬間だったと感じています。日本独自の進化を遂げたこの黄色い姿は、今や一つの伝統文化と言えるかもしれません。

3. 名前の由来:アルプスの名峰を映した姿

なぜこのお菓子が「モンブラン」と呼ばれているのか、その語源を紐解いてみましょう。フランス語で「Mont Blanc(モン・ブラン)」は、直訳すると「白い山」という意味になります。

アルプス山脈の最高峰であるモンブランの山頂には、一年中消えることのない真っ白な雪が積もっています。お菓子の頂上に振りかけられる粉糖は、まさにこの「万年雪」を表現しているんです。また、高く絞り出されたクリームの筋は、険しい岩肌を彷彿とさせます。一口食べるたびに、遠くフランスの山脈の景色を想像できるなんて、とてもロマンチックだと思いませんか?

「茶色」と「黄色」の色の違いについて

最近では、素材の味を活かした「茶色のモンブラン」が主流になっていますが、これは渋皮ごと、あるいは皮を剥いてから煮込んでペーストにする「洋栗」スタイル。一方、「黄色いモンブラン」は、クチナシの実で鮮やかに色付けした和栗の甘露煮をベースにしています。どちらが本物、ということではなく、それぞれが独自の文化として大切に守られてきた証拠。その日の気分で選べる楽しさがあるのも、日本ならではの幸せですね。

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実は私、モンブランの一番下の土台をチェックするのが大好きなんです。サクサクのメレンゲだとパリ気分、しっとりカステラだと日本の懐かしい味……。個人的には、メレンゲが中の生クリームの水分を吸って、少しだけ柔らかくなった「絶妙なタイミング」を狙って食べるのが至福の瞬間です!

4. まとめ:一口ごとに広がる、栗の深い味わい

パリの社交界で愛された洗練された姿と、日本の自由が丘で独自の進化を遂げた親しみやすい味。モンブランという一つのお菓子の中には、海を越えた職人たちの敬意と挑戦が詰まっていました。

今回のポイント振り返り:

  • ルーツはフランス・イタリア国境。1903年にパリの「アンジェリーナ」で今の形が確立。
  • 日本初上陸は1933年。東京・自由が丘の「モンブラン」が黄色いスタイルを考案した。
  • 名前はアルプスの最高峰「白い山(モン・ブラン)」に由来。
  • 粉糖は山頂の万年雪、クリームの筋は岩肌を表現している。

次にモンブランを召し上がる時は、ぜひその美しい「山の形」をじっくり眺めてみてください。かつての貴婦人たちや、日本の職人が見た景色が、きっとあなたのティータイムをより豊かなものにしてくれるはずですよ。

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